“ナチュラルワイン”という言葉は、今や広く知られるようになり、日本でも熱心なファンも多く、ワインショップやレストランでも一つのジャンルとして扱われています。

ナチュラルワインには統一された定義はありませんが、たとえば野生酵母、無濾過・無清澄、亜硫酸の使用を抑えた醸造、有機栽培など、そうした造りの特徴から捉えられることも多いでしょう。

しかし、製法はあくまでプロセスです。では、その先に造り手たちはどのようなことを目指しているのでしょうか。

今回、RAW WINE TOKYOで話を聞いたのは、北海道余市町登地区でドメーヌ・タカヒコを営む曽我貴彦氏。
約4.6haの農地でピノ・ノワールを栽培し、野生酵母、全房発酵を軸としたワイン造りを続けています。代表作「ナナツモリ ピノ・ノワール」は国内外で高い評価を受け、現在では入手困難な日本ワインの一つです。

有機栽培、野生酵母、全房発酵・・・曽我氏のワイン造りのスタイルだけを見れば、ナチュラルワインを象徴する造り手の一人と捉える人もいるかもしれません。

ところが本人は、「私は、ナチュラル派とは呼ばれたくないんです。」と言いました。

曽我貴彦氏が考える、ワインと自然の距離

もちろん、曽我氏がナチュラルワインそのものを否定しているわけではありません。
むしろ話を聞いていると、自然や環境、微生物について深く考えてきたからこそ、「ナチュラル」という一つの言葉だけでワインを括ることに慎重なのではないかと感じます。

「お互い寄せていけばいいんですよ。」コンベンショナルとナチュラルを対立させることにも、あまり意味を感じていない様子です。

たしかに、農業はそもそも人間が自然に手を加える営みです。何もしないことだけが「自然」なのだとすれば、ブドウ畑そのものが自然ではないことになります。

シャトー・メルシャンのエグゼクティブ・ワインメーカー 安蔵光弘氏も、たびたびセミナーで自然と人間の関係について触れ、「たとえば田舎の景観は、自然と人間の共同作業によってつくられてきたもの」と語っています。山や森などの自然に人が手を入れ、人が向き合い、時には自然と闘いながら田畑をつくり、その恵みを受けて暮らしてきた。私たちが「自然豊か」と感じる農村の風景も、実はそうした長い営みの中で形づくられてきたものです。

そう考えると、大切なのは「人の手が入っているか、いないか」という単純な線引きではなく、「人間が自然とどう向き合い、どこまで手を加えるのか」ということなのかもしれません。

曽我氏もまた、その答えを畑とワインの中で探し続けています。実際、ドメーヌ・タカヒコでは2023年ヴィンテージから、温暖化の影響も踏まえ、赤ワインにも少量の亜硫酸を使用しています。

「ナチュラルワインだから使わない」というルールを優先するのではなく、その年のブドウや発酵の状態を見ながら判断する。そこにあるのは、カテゴリーを守ることよりも、より良いワインを造るための選択なのではないでしょうか。

そして曽我氏が繰り返し口にしたのが、「美味しさ」という極めてシンプルな言葉でした。

ナチュラルワインにこそ科学が必要

曽我氏は「自然」を重視する一方で、科学を決して遠ざけていません。

「自然な造りをするから、科学はいらない」というのではなく、むしろ自然を相手にするからこそ、何かがうまくいかなかったときに「なぜそうなったのか」を考える必要がある。野生酵母だから、ただ自然な発酵に任せればいいわけではない。微生物がどのような状態にあるのかを観察し、その変化を読み取る必要があるということです。

自然と科学。一見、対極にあるように見える二つを行き来しながら、自身が求める味へ近づいていく。曽我氏の話を聞いていると、「ナチュラルワイン」という言葉だけでは括り切れない理由が、少しずつ見えてきます。

「雨が降らない国が真似できないことを」

そして話は、ナチュラルワインから「日本でワインを造る意味」へと移っていきます。

ワイン産地としての日本を語るとき、雨が多く湿度が高いことは、一般的には不利な条件として語られます。降水量が多く、病害のリスクも高い。ワイン用ブドウを栽培するうえで、決して簡単な環境ではないことは確かでしょう。

しかし曽我氏は、堂々とこう話します。「雨が降らない国が真似できないことを、僕たちはできるんですよ。」

曽我氏自身、若い頃には「痩せた土地から偉大なワインが生まれる」という考えに惹かれていたといいます。しかし世界各地の産地を巡り、さまざまなワインを飲んでいくなかで、自分が好むワインは、ビオかどうかという“製法”だけではなく、“土地”そのものと関係しているのではないか、と感じるようになったそうです。

「自分が心を動かされるワインが生まれる場所には、雨が降り、森があり、生命がある。」たとえば、ブルゴーニュ、ジュラ、北イタリア。

雨が降り、植物が育ち、土壌にはさまざまな生命や微生物が存在する。曽我氏は、そうした環境全体に日本ならではの可能性を見ています。

日本の微生物環境をワイン造りに生かす

曽我氏には、微生物研究に携わっていたバックグラウンドがあります。

日本には古くから、日本酒、味噌、醤油、酢、漬物など、多様な発酵文化があります。湿潤な気候の中で、人々は微生物と共存しながら独自の食文化を築いてきたともいえるでしょう。

ならば、乾燥したワイン産地と同じ方法をそのまま日本へ持ち込むのではなく、日本に存在する豊かな微生物環境をワイン造りに生かす。野生酵母による発酵へのこだわりも、製法そのもの以上に、“畑に存在する微生物を、ブドウから醸造へとどうつないでいくのか”という発想につながっているようです。

日本独自のワインの可能性と捉えると、この点は、長くヨーロッパのワインを一つの基準としてきた日本ワインにとって、非常に興味深い視点ではないでしょうか。

世界の銘醸地と同じ条件を持っていないことを嘆くのではなく、違うからこそ生み出せるものを大切にする。雨も、湿度も、微生物も。これまで弱点として語られてきたものが、曽我氏の話を聞くにつれ、日本ワインの個性にも思えてきます。

世界で通用することを、自ら示す

曽我氏のワインは、現在では海外でも高い評価を受けています。ただでさえ国内でも希少なワインをなぜ世界へ出すのか、その理由を尋ねました。
「野生酵母を使い、亜硫酸を極力抑えた日本のワインは世界で通用しないと言われてきたので、だったら通用するところを見せればいい。」そう考えたといいます。

目指しているのは、自分のワインだけが海外で成功することではありません。一つの実例をつくることで、後に続く日本の生産者が挑戦しやすくなる。そして、日本ワイン全体の価値が上がっていく。

これは、彼が農業について語る「続けられること」という思想とも重なります。また、彼が自分のワイン造りについて「誰でもつくれる漬物のような」と表現しているのを、筆者もこれまで何度か耳にしてきました。

自分にしかできない特殊な方法では、地域には残らない。周囲の農家が実践でき、次の世代へ受け継がれ、少しずつ地域に広がっていく。一人のスター生産者を生み出すことよりも、その土地にワイン文化が根付いていくこと。曽我氏が見ているのは、そういった未来なのでしょう。

「日本のナチュラルワインは、美味しさだと思う」

さて、ナチュラルワインの祭典RAW WINE TOKYOの場でのインタビューです。

「端的に、日本のナチュラルワインをひとことで表すと?」そう尋ねると、曽我氏は「本来、世界では環境とかエコという文脈で語られることが多いけれども、僕は日本では美味しさだと思う。」さらに、「美味しさを追求していけば、環境も自然についてくる。」と答えられました。

“有機だから”“野生酵母だから”ではなく、まず美味しいワインを造りたい。そのためには良いブドウが必要になる。良いブドウを育てようとすれば、土を見る。土を見れば微生物を見る。そして、その土地の自然環境と向き合わざるを得なくなる。

つまり、自然や製法を守ることをワイン造りの「ルール」にするのではなく、美味しさを突き詰めていった結果として、自然とのより良い関係に、適した方法へとたどり着く。

曽我氏が求めるのは、濃く力強いワインというよりは、繊細でありながら深さがあり、長い余韻を持つワインです。本人はそれを、上質な「出汁」のような「旨味」と表現します。

日本人が日本の風土から、自分たちの美味しさをつくる。その先に、日本の食卓に自然に馴染む味わいがあるのでしょう。そして、それは世界で評価されることとも矛盾しません。

むしろ、現代の科学や技術の進歩によって、世界各地で似たスタイルのワインを造ることも可能になりつつある時代だからこそ、その土地にしかない味わいには、より大きな価値があるのではないでしょうか。

私たちは、日本のナチュラルワインをどう楽しむのか

そう考えると、飲み手である私たちにできることは、もっとシンプルでしょう。

目の前の一杯を、まず「美味しい」と楽しむこと。そして、心を動かされたワインに出会ったなら、なぜ美味しいのだろうと、ワインが生まれたその背景にほんの少し思いを巡らせてみる。

そこにはブドウを育てた人がいて、土があり、雨があり、その土地に生きる微生物がいる。そして、それらと向き合いながらワインを造る人の考えがあります。

“ナチュラルな製法だから”飲むのではなく、“美味しいから”飲む。そして、その美味しさの理由を辿った先に、日本の風土へ思いを馳せること。そんなワインの楽しみ方が、これからもっと広がっていってもよいのではないでしょうか。

このような、それぞれの土地の自然や文化を感じられるワインが日本各地からもっと生まれてくるなら、飲み手である私たちにとって、これほど楽しみなことはありません。