ワインと聞くと、産地や銘柄、ブドウ品種、醸造方法、テロワールなどを思い浮かべる方は多いでしょう。
一方、ワインには、生産や消費、流通、貿易、投資といった経済活動としての側面もあります。
こうした「ワイン×経済」の視点から見ると、価格の背景やワイナリーの経営、産地が抱える課題など、いつもとは違う姿が見えてきます。
今回は、ワイン経済学を研究する中央大学商学部教授の原田喜美枝さん(以下、原田教授)にインタビューしました。
日本ワインの現状から、価格の決まり方、産業を支える仕組みまで、経済学の視点からお話を伺います。
ワイン経済学とは

原田教授は、『データで広がる日本ワインの世界 ワインエコノミクス入門』の著者。
ブドウ品種や醸造、産地、料理とのペアリングを扱う書籍が多い中、同書はワインを経済や経営の視点から知ることができる一冊です。
とはいえ、「ワイン経済学」は、一般にはまだ馴染みの薄い分野かもしれません。
まずは、どのような学問なのかを伺いました。
原田「ワイン経済学は、ワインを飲み物として楽しむだけでなく、その生産や販売、消費などを経済活動として捉える学問です。日本では、ワインというと栽培や醸造、法律や制度に目が向きやすく、経済とのつながりを意識する機会は少ないかもしれません。例えば、国税庁が公表する都道府県別の課税移出数量には、国産ブドウだけで造られる『日本ワイン』以外のワインも含まれています。そのため、日本ワインの実態を知るには、統計の範囲を確かめ、対象となるデータを整理する必要があります。そこから、生産や消費の規模、地域ごとの違いなどを分析することもワイン経済学のひとつです。」
地理的表示(GI)も、経済学の視点から見ることで、制度の利用状況や価格との関係が見えてくるといいます。
原田「山梨、北海道、山形、長野、大阪には、ワインのGIがあります。例えば、GIの認証を受けたワインが、そうでないワインより高い価格で販売されているのかを、回帰分析という方法で調べることができます。また、私が調べた範囲では、GIの利用率は山形県で顕著に高いことがわかっています。GIがあることと、生産者がそれを利用することは別です。なぜ利用状況に違いがあるのかを考えることも、研究の対象になります。」
海外では、著名な醸造家が別のワイナリーに移るとワインの価格がどう変わるのか、畑の斜度や日照条件がブドウ畑の価格とどう関係するのかなど、さまざまな研究が行われているそうです。
ワイン経済学の研究対象は、価格や生産量だけでなく、消費者の行動やマーケティングなどにも広がっています。
ワイン経済学を研究するようになったきっかけ
金融や経済政策を専門とする原田教授は、なぜワイン経済学も研究するようになったのでしょうか。
原田「きっかけのひとつは、コロンビア大学教授でいらした伊藤隆敏先生です。先生は赤ワインがお好きだったのですが、当時の私が『白ワインのほうが赤ワインよりおいしい』と伝えたところ、『それはワイン好きとは言わない』と言われたんです(笑)。そうかな?と思い、それをきっかけにワインを本格的に学び、ワインエキスパートの資格を取得しました。」
その後、国際学会でワインに関するセッションに参加し、ワイン経済学への関心を深めていったといいます。
原田「日本ソムリエ協会の機関誌『Sommelier』で、ワイン関連の学会を紹介する記事を書いたことがありました。取材で学会関係者にお話を聞くうちに、おもしろい分野だと感じるようになりました。その後、共同研究などのお誘いをいただいたこともあり、本格的に研究するようになったんです。」
日本ワイン産業が抱える経営課題

原田教授は、日本各地のワイナリーを訪れ、現場の声にも耳を傾けています。
経済学の視点から、日本ワイン産業の現状をどう見ているのでしょうか。
原田「日本ワイン産業を考えるうえでは、ワイナリーの経営状況と、それを支える制度の両方を見る必要があります。最近は『経営が苦しい』という声が増えているように感じます。一方で、工夫を重ねて経営の安定を図るワイナリーもあり、カスタムクラッシュ(※1)を利用する動きも見られます。ただ、小規模なワイナリーの経営には依然として厳しい面があります。ブドウ栽培には農業分野の支援がありますが、醸造や販売まで含めたワイナリーの経営を支える制度は限られていると感じます。」
※1 カスタムクラッシュ:自前の醸造設備を持たない生産者などが、既存のワイナリーに醸造を委託したり、設備や醸造家のサポートを利用したりして、ワインを造る仕組み。
原田「カスタムクラッシュの利用が広がることは、よい傾向だと思います。ワイナリーの経営では、設備投資などの固定費と、生産量に応じて増える変動費の両方を考える必要があります。特に小規模なワイナリーにとって、固定費である醸造設備を自前でそろえる負担は大きい。そこに、酵母やコルク、ボトルなど変動費の費用もかかります。円安になると、海外から輸入する設備や樽の費用も膨らみます。既存の設備を活用して初期投資や固定費を抑えることは、経営の負担を軽くし、産業全体を支える一助になるのではないでしょうか。」
カスタムクラッシュは、設備を所有する負担を抑え、小規模な生産者が事業を続けるための選択肢のひとつになりそうです。
一方、原田教授は、個々の経営努力に加え、産業を支える制度も必要だと考えています。
原田「国税収入に占める酒税の割合は、およそ1%です(※2)。そのうち、ワインから得られる税収はさらに限られています。税収の規模だけを見ると、ワイン産業には政策上の関心が向きにくいのかもしれません。ただ、ワイナリーは農業や観光、地域の雇用ともつながっています。経営の厳しさが増す中、こうした役割にも目を向け、支援をもう少し充実させてほしいと考えています。」
※2 参考:財務省「酒税に関する資料」
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/d08.htm
産業を支える制度の例として、原田教授はオーストラリアを挙げます。
原田「オーストラリアでは、ワインに対し、原則として卸売価格の29%に相当するワイン平衡税(WET)がかかります。一方、一定の要件を満たす生産者には、この税の還付制度があります(※3)。
大手企業と小規模な生産者では、生産規模や販売力が異なります。小規模な生産者が事業を続けられるよう、年間の上限付きで税を還付する仕組みを設けている点は、日本でも参考になるのではないでしょうか。」
※3 参考:Australian Taxation Office「Wine equalisation tax (WET)」「Producer rebate」
https://www.ato.gov.au/businesses-and-organisations/gst-excise-and-indirect-taxes/wine-equalisation-tax
https://www.ato.gov.au/businesses-and-organisations/gst-excise-and-indirect-taxes/wine-equalisation-tax/producer-rebate
ワインにプラスアルファという考え方

経営環境が厳しくなる中、ワイナリーは消費者とどのようにつながっていけばよいのでしょうか。
原田「若者のアルコール離れが話題になりますが、フランスでも、若者がワインをボトルで買う機会は減っているようです。高品質なワインを造るだけでなく、それを飲み手に届けられているかを考える必要があります。先日、オーストラリアワインの試飲会で、紙パック入りのワインだけを扱うブースを訪れました。聞くと、『私たちは紙パック以外では販売しない』とのことでした。飲んでみると品質も良く、驚きました。『もうボトルを買うような時代ではないし、紙パックはエコフレンドリーでもあるし、飲み切れるしね』などとメリットを強調していました。すべてのワインに当てはまる話ではありませんが、消費者が何を求めているのかを捉える姿勢は大切だと思います。」
容器や売り方も含めて、消費者の暮らしや好みに合わせた工夫が求められているようです。
原田「今年の夏の国際学会で、ワイナリーを訪れる目的についてアンケートを取った人が調査結果について報告していました。この報告も印象に残っています。ワイナリーを訪問した人たちの目的は、ワインを試飲することではありませんでした。音楽ライブや食事をワイナリーで楽しむため、子どもが遊べる場所が併設されているから、宿泊して家族や友人と過ごせるからなど、ワイン以外の楽しみを求めて訪れる人が多いという内容でした。ワインに何かを組み合わせる『プラスアルファ』が、人を呼ぶきっかけになるのだと感じました。」
日本では、宿泊や食事、温泉、読書、アートなどを楽しめるカーブドッチワイナリーが、その一例でしょう。ワインを軸に多様な体験を提供することが、訪れる人の広がりにつながるのかもしれません。
日本ワインの価格をどう考えるか

ワインと経済の関係を考えるとき、身近なテーマのひとつが価格です。
日本ワインは、輸入ワインに比べて高価だと感じられることもあります。その価格には、どのような背景があるのでしょうか。
原田教授は、ワイナリーの設立時期に注目した分析を紹介してくれました。
原田「以前、山梨県と北海道のワイナリーについて、設立年と販売するワインの平均価格との関係を調べました。横軸に設立年、縦軸に平均価格をとって、比較したんです。山梨県には19世紀に設立された老舗もあり、平均価格は比較的低めでした。一方、北海道には新しいワイナリーが多く、平均価格は高めでした。老舗では設備の減価償却が進んでいる一方、新しいワイナリーには初期投資の負担があることも、背景として考えられます。もちろん、価格はそれだけで決まるわけではありませんが、設立時期との関係は一因としてありそうです。」
山梨県の老舗ワイナリーからは、「自分たちは高い価格はつけられない」という声も聞いたそうです。
長年の顧客との関係や経営基盤など、価格の背景はワイナリーごとに異なります。新しく設立されたワイナリーでは、投資の回収も考えながら価格を設定する必要があります。
原田「消費者がワインを選ぶとき、価格は重要な手がかりです。ただ、その価格には、品質だけでなく、生産規模や設備投資など、さまざまな事情が反映されています。こうした背景まで伝えるのは、簡単ではありません。ワイナリーを経営している知り合いの中には、基本的におひとりで栽培から醸造、販売まで担い、手が回らずに経営に苦労している方もいます。私も応援したい気持ちでワインを購入しますが、小規模なワイナリーの苦労を感じる場面は多いですね。」
経済学の視点で広がるワインの世界
ワインを経済学の視点から見ると、価格や市場についても、ひとくくりにはできないことがわかります。
例えば、原田教授によると、投資対象となる高級ワインの市場と、日常的に飲むワインの市場では、取引の仕組みや買い手の目的が大きく異なります。
ボルドーの五大シャトーのワイン価格を追う「Liv-ex Fine Wine 50」のような指数もあります。投資対象として取引する場合は、適切な保管環境や来歴の確認、ケース単位での取引などが重要になります。
景気や所得の影響も、市場によって異なります。超高級ワインの取引だけでなく、愛好家が好みのワインを買い続ける行動にも目を向けると、ワイン市場をより多面的に捉えられそうです。
最後に、日本ワイン産業の今後に期待することを伺いました。
原田「ワインツーリズムを、もっと重視してほしいと思っています。例えば山梨県は都心から近く、日帰りのバスツアーや宿泊付きのツアーなど、産地を訪れやすくする工夫ができるはずです。海外からの旅行者に、日本ワインの産地を巡ってもらう企画も考えられます。ワインを飲んだり買ったりするだけでなく、地域の食や風景も楽しんでもらえれば、産地の魅力を伝えられるでしょう。そして、産業を支える働きかけも期待しています。生産者の組合が県に、県が国に働きかけるなど、連携を強めて、日本ワインを支える体制が整っていくことを願っています。」
参考情報
画像掲載情報
中央大学商学部教授 博士(経済学) 原田喜美枝
『データで広がる日本ワインの世界 ワインエコノミクス入門』原田喜美枝 著

