ワインを語るとき、よく出てくる言葉に「テロワール」や「醸造」、「ヴィンテージ」などがあります。
しかし、そのさらに前段階である”どんな苗木が植えられたのか”に思いを巡らせる機会は、実はあまり多くはないのでは。
今回はその”苗木”に注目をし、山梨県笛吹市一宮町でぶどう苗木を生産する須田葡萄苗圃にお邪魔しました。
ワインになる前の”はじまり”を支える現場はどのような役割を持ち、その作業としては具体的には何が行われているのでしょうか。
須田葡萄苗圃 代表取締役の須田上司(すだじょうじ)氏にお話を伺いました。
苗木業の役割とは
苗木業の基本業務は、台木(根になる部分)に、ワイン用品種となる穂木(実がなる枝)を接ぎ木し、育て、出荷できる状態まで仕上げてワイナリーや農家へ納めることです。
接ぎ木が必要な理由としては、ご存知のとおり病害虫や土壌条件への耐性などがあり、いわば栽培を長期に安定させるための土台づくりといえるでしょう。
須田氏はもともと他の苗木業者に勤務されていましたが、独立後、2019年にフランス(ブルゴーニュの苗木屋等)で学び、帰国後に日本の気候風土に合わせて改良し、”スダメソッド”という葡萄苗木の生育方法における技術特許を取得しています。

「経験と勘 」から「再現性」のある技術へ
多くの苗木生産は、長年の経験から得た勘や感覚で成立している面が大きく、年によって成果がぶれることも多々あるそうです。だからこそ、須田氏は“科学的根拠に基づいた苗木生産”へ取り組むことにしました。
具体的には、接ぎ木の成功(癒着・活着)に関わる植物生理を学び、植物ホルモンの働きや必要条件を理解したうえで、工程全体を組み立て直しをしました。
さらに「どの温度条件で、どの工程を、どの順番で行うか」といった細部までを見える化し、外部に説明できるレベルまで落とし込んで技術特許として成立させました。
「音楽でいう楽譜、料理でいうレシピ。職人技のブラックボックスを、誰が見ても再現できる設計に変えていく発想です。」と語られ、2019年にはフランス(ブルゴーニュの苗木屋など)を訪れて学び、日本の気候風土に合わせた形へ改良してこられたそうです。

歩留まりが上がると何が変わるか
数字としてインパクトがあるのが歩留まりの話でした。
須田葡萄苗圃では、夫婦2人が中心となり本格的に取り組み始めてから年間で約3万本規模の接ぎ木を行っています。接ぎ木の後は温室工程、検査、畑への定植、育成、掘り取り、成形、再検査……と複数の関門があり、そのどこかで一定割合が落ちていきます。
それでも最終的に約8割が出荷可能となる説明は、従来「3割程度しか残らない」といった話も出てくる業界全体としての状況を踏まえると、改善幅が非常に大きいでしょう。歩留まりが上がれば、苗木単価に過度なしわ寄せが出にくくなり、結果として“高すぎて植えられない”という障壁が下がります。
須田氏が目指すのは、単に自社の成功だけではなく、苗木の安定供給を通じた産地全体の底上げ。その考えが、歩留まり改善の目的となっています。
一方で、まだまだご本人は現状に満足していないそう。「目標は100%に近づけたい」「まだ研究が必要」と引き続きの努力の姿勢が伺えます。

品種・台木・クローンのこと
扱う品種は、シャルドネ、メルロー、カベルネ、ソーヴィニヨン・ブラン、アルバリーニョ、甲州系統など幅広く揃えています。
それに加えて、山梨県オリジナル品種の「ソワノワール(メルロー×ピノ・ノワール)」のお話も印象的です。
ソワノワールは、深刻化する温暖化の対応として、今山梨県でもっとも注目される品種のひとつでしょう。
須田葡萄苗圃では、山梨県の委託でソワノワールの苗木を生産しており県内のワイナリーに配布しました。今後数年でワインとして形になってくるでしょう。
新品種は栽培・醸造ともに“これから表情が決まる”領域で、苗木の段階から既に産地の未来に関わるもので、期待値も非常に大きいものです。
単品かブレンドかは各ワイナリー次第となりますが、あと3年くらいで飲める ソワノワールでつくったワインは楽しみですね。
また、海外クローン導入の難しさも具体的に教えていただきました。
検疫で長期の検査が必要となり虫やウイルスなどの問題が出れば破棄される。さらに「欧州で良い苗が、そのまま日本で良いとは限らない」という指摘もあり、結局は国内で試験・検証して確かめる必要があります。また、流通の過程で混ざる、状態が変わる等トレーサビリティの難しさもあります。
台木選びも大事です。土壌条件(水捌け、土壌の性質など)や地域特性に合わせ、推奨される台木が変わります。穂木と台木の親和性が悪い組み合わせでは、接ぎ木の段階で失敗したり、癒着がうまくいかずに生育が止まることもあるため、やはり経験知と実績の積み重ねが不可欠なものでしょう。

接ぎ木から苗育成までの流れ
須田葡萄苗圃の接ぎ木機は、ドイツ製、オメガ型に噛み合う機械を使用しています。
穂木と台木を同程度の太さで揃える重要性からすでに「歩留まり」が意識されますが、接合後の固定と保護、そしてその先に育成となるわけです。
接ぎ木機で台木と補木を噛み合わせたら、すぐにホルモン剤と殺菌剤を含む特殊ワックスにて固定します。乾燥や雑菌侵入を防ぎつつ、癒着を促進する役割があります。一定期間温室にて保管、その後に芽が出て、接合部にカルス(癒合組織)が形成され、畑で育って初めて出荷形態に近づくという流れです。
つまり、接ぎ木はスタートにすぎません。途中で芽が出ない、癒着が不十分で倒れる、育成が想定通り進まない——そうしたリスクが複数段階で存在するため、たとえば10本注文をもらったら20本仕込む等、実際の注文数より多めに仕込む運用をしています。
苗木ビジネスがいかに、トレンドや気候変動に基づく需要予測、生物相手の不確実性などをはらむ繊細なものであることがわかります。


これからの課題
須田氏が課題として挙げたのは、技術面のみならず、社会的な課題としてそもそもの苗木不足のほか、後継者不足と認知不足が大きいということです。
苗木屋という職業が広くは知られていないため、若い世代が入りにくい業界です。
そこで須田氏は現在、高校の果樹園芸科や大学の授業に出向き、接ぎ木を教える取り組みを続けています。そこでは単なる体験ではなく、「こういう仕事があり、生計も立てられる」ことまで含めて伝えているそう。
「ワイナリーや農家のため、さらにその先のワインを飲む人のために、良い苗木をつくっていきたい。」と語られます。
ワインの個性や品質を語るとき、私たちはどこまで遡って考えているでしょうか。
醸造方法や、栽培の場面、産地やヴィンテージごとの気候、造り手のこと・・・様々想いを馳せ味わっていることと思います。
それらに加え、苗木業という領域にまで目を向けることは、日本ワイン全体の可能性や課題を足元から見直すきっかけとなるのかもしれません。


磯部 美由紀
日本ワイン.jp 編集長
J.S.A認定 ワインエキスパート / C.P.A認定 チーズプロフェッショナル
映画 フロマージュ・ジャポネ 制作実行委員会 事務局長
https://nihoncheese.jp
ワイン記事監修実績:すてきテラス
Picky’s こだわり楽しむ、もの選び〔ピッキーズ〕
