日本のワイン造りが本格的に始まったのは、およそ140年前といわれています。
文献上、初めてワインの醸造が登場したのが紀元前5000年ごろといわれている(諸説あり)だけに、日本は世界的に見て新しいワイン産地といえるでしょう。
しかし、このわずかな期間で日本のワインは急激な発展を遂げており、今や世界クオリティのワインを生み出す生産者まであらわれるようになりました。
このおよそ140年の間、日本のワイン造りには何が起こっていたのでしょうか。
ここでは、日本のワイン造りの歴史、また近年の日本ワインの発展の秘密について解説していきます。
日本のワイン造り4つのステージ
日本のワイン造りの歴史は、大きくわけて4つのステージに分けることができると考えます。
- ワイン造りのはじまり
- 甘味果実酒と
- 生産拡大とワインブーム
- 2000年以降の大躍進
それぞれ、簡単にまとめていきたいと思います。
ワイン造りのはじまり
日本のワイン造りが本格化したのは、明治初期頃。
明治6年頃、明治維新政府の殖産興業政策の一環として、ワイン醸造を目的としたブドウ栽培が全国的な規模で展開されたことがはじまりとされています。
(※日本の文献によると現福岡県備前の備前小倉藩の細川忠利が家臣にワインを造らせたことがはじまりといわれているなど、諸説あるようです。)
現新宿御苑の内藤新宿試験場や三田育種場、北海道開拓仕官園などがその国家的事業の拠点とされたようですが、この施策は生産面ばかりに力を入れ市場開拓はおざなりになっていたといわれています。
そんな中、1870年(明治3年)に山梨県甲府市で、山田宥教と詫間憲久が「ぶどう酒共同醸造所」を設立し、甲州を中心に日本で初めて国産ワインを生産。(産業として)
ここから日本ワインが世界へ羽ばたくか…と思いきや、醸造技術の低さや市場未開拓など多種多様な理由から同醸造所は経営難に陥り廃業してしまいます。
その後、1877年(明治10年)に現勝沼町に「祝村葡萄酒会社(大日本山梨葡萄酒会社)」が発足。※のちのメルシャン
この会社が、日本ワイン発展の礎となった二人の青年をフランスのトロワ市へ派遣します。
ワイン造りは民間へ
フランスに派遣された高野正誠と土屋竜憲は、本場のワイン醸造を2年間学びその後、帰国。
宮崎光太郎(販売担当)と共に甲州ブドウを原料にワインの醸造をはじめます。
しかし、市場開拓ができていなかったことや醸造の技術が追いついていないなど、さまざまな問題があり「大日本山梨葡萄酒会社」も解散。
さらにこの頃は、官営主導権の殖産興業政策は自由民営型へ転換期であり、播州葡萄園の民間払下げにより、官営施設からワイン醸造部門がほぼ消滅した結果、ワインにおける明治維新政府のワインにおける殖産興業政策は終焉を迎えたとされています。
しかしその裏で祝村一帯のブドウ栽培者の多くが醸造免許を取得し続けるなど、民間におけるワイン造りへの熱は冷めておらず、有志たちによりワイン造りは続けられました。
土屋竜憲による、「マルキ葡萄酒」の設立をはじめ、川上善兵衛による新潟県「岩の原葡萄園」の開設。
このように、全国各地の栽培者が新たな品種の改良、好適ブドウ品種の育成など、熱心にワイン用ブドウの栽培に力を注いだ時代でもあったようです。
甘味果実酒と緊急軍需物資として
日本のワイン造りの歴史の中で、外すことができないのが甘味果実酒の存在と戦争における緊急軍需物資としての歴史です。
まずは、甘味果実酒についてまとめていきます。
甘味果実酒に人気が集中
民間によるワイン製造が始まった後、ポートワイン風の甘味葡萄酒「香竄葡萄酒」が人気を博します。
欧州から輸入されたワインを利用した甘味葡萄酒は日本人の嗜好にフィットしたため、大ヒットとしたようです。
さらに当時、その流れを利用したとされているのが「蜂印」の創始者である神谷伝兵衛。
甘味果実酒のベースワインを自ら栽培するべく、「牛久葡萄園」を建設したことも大きな話題となりました。
さらに、宮崎光太郎の「大黒甘味葡萄酒」や1907年(明治40年)に鳥井信次郎が発売した「赤玉ボートワイン」なども当時のワイン市場を席巻。
甘味果実酒の存在は賛否両論あるものの、甘味果実酒の成功が生産者やワイン会社の資金源となり、当時辛口ワインの市場開拓に行き詰まっていた国産ワインの生産面での崩壊を食い止めたのです、
緊急軍需物資として
日本のワイン造りの歴史の中でも重要視すべきが、1940年代半ばの太平洋戦争末期頃のエピソードでしょう。
ワインには酒石酸と呼ばれる有機酸の一種がふくまれていますが、これに加里ソーダを化合させることでロッシェル塩(酒石酸加里ソーダ)と呼ばれる物質が精製されます。
このロッシェル塩は音波をすばやく捉えることができる特性があり、第2次世界大戦時にはドイツがこれをいち早く採用し、音波防御レーダーを開発。
潜水艦や魚雷に対処するための兵器として艦船に装備させていたことで知られています。
1942年(昭和17年)、日本海軍はミッドウエーの海戦で航空母艦4隻を失う大打撃を受け敗退。
その直後、日本海軍は艦艇の装備を強化するために兵員を同盟国のドイツに派遣させ、兵員にこのロッシェル塩を利用した探査技術を習得させたいわれています。
艦艇の装備を強化するためのロッシェル塩。
これを手っ取り早く採取できる方法がワイン製造だったことから、海軍は全国各地のワイン醸造所にワイン造りを奨励。
緊急軍需物資ではあるものの、こういった戦争が関連してワイン生産量が倍増した歴史があるのです。
とはいえ戦時中の強制的な統合によりワイナリーが減少したことがもちろん、戦後はこれら増産の反動を受けてワイン産業は低迷。
ブドウ栽培を放棄する者も増え、日本のワイン造りの歴史は危機を迎えたといわれています。
※しかし、同時期には甘味果実酒だけは人気を博していたようです、
生産拡大とワインブーム
日本のワイン産業が低迷し続け厳しい時代があったものの、とあるきっかけで生産が拡大、さらにワインブームも到来します。
高度経済成長により生産拡大
戦後ワイン産業が低迷し続けていたものの、バブル到来の兆しによる海外旅行ブームや大阪万博、東京オリンピック、経済の高度成長などによりワイン消費が拡大。
さらに国内でも第3セクターや地方自治体のワイナリーが設立されるなど、日本のワイン自体の生産も拡大するようになっていきます。
その結果、1975年には甘味果実酒の消費量を辛口ワイン(一般的な果実酒としてのワイン)が上回るなど、この頃からテーブルワインが大衆化していきました。
また、1970年代に諸外国との貿易自由化により、バルクワインや濃縮マストの関税の引き下げが起こった結果、バルクワインや濃縮マストの輸入が激増。
国産ワイン(現在の日本ワイン以外の国内製造ワイン)の生産量も増加していった時期といわれています、
ワインブームの到来
1980年代後半、日本にバブル期が到来します。
この頃、日本にボージョレ・ヌーヴォーが輸入されはじめたり、富裕層が高級ワインに目をつけ始めるなどワイン市場が盛り上がりを見せ始めます。
1990年代前半には、国産ワインはもちろん、チリやアルゼンチン、オーストラリアなど南半球の低価格ワインが業務用・家庭用市場に浸透。
日本で、“家庭で手軽にワインを楽しむ”という文化が少しずつではありますが醸成されていきます。
1990年代の後半にはワインに含まれる「ポリフェノール」が健康維持に貢献するといった研究結果から、空前の赤ワインブームが到来。
1995年に第8回世界最優秀ソムリエコンクールで日本人初の優勝を遂げた田崎真也氏の存在も関連して、1998年ワイン市場は爆発的な拡大を見せました。(当時の消費量は年間約298,000kl。1970年の大阪万博会開催時の約50倍!)
一方、この頃から一部の日本ワイン生産者も土着品種などではなく、カベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネなどの欧州品種を導入。
試行錯誤しなもレベルの高いワイン造りを目指したい、という高い目標を設定したワイン造りがスタートし始めました。
そして、2000年を過ぎた頃には小規模生産者などワイナリー数も激増するようになり、いわゆるお土産ワインではない、“高い品質の日本ワイン”を生み出すような方向性に舵が切られるようになります。
2000年以降の大躍進
日本ワインは美味しくない、イマイチだ。
ワインブームを経たことでワインに詳しい、「ワイン通」が増えていった日本。
飲み手側のリテラシーが高まったことにより、日本ワインについて手厳しい評価下す人たちは少なくありませんでした。
しかし近年、日本ワインの品質が全体的に急激に成長を見せ、ワインのプロたちが日本ワインの魅力を各方面で発信。
結果、“イマイチな日本ワイン”が、メディアを中心に「日本ワインが美味しくなった!日本ワインブーム到来!」と、もてはやされるようになったのです。
新しい日本ワイン
さて、そんな日本ワインがブームとなった背景には2000年以降に起こった多種多様な変化にあるといわれています。
自らブドウ栽培とワイン醸造を手掛ける小規模生産者の増加や海外留学など経たワイナリーの跡継ぎの参入、逆にワインに魅せられ異業種からの参入者など、この時期から現在にいたるまで日本ワインを取り巻く環境が大きく変化しました。
海外産ワインを真似るだけではなく、日本らしいワインを造る。
テロワールを意識したブドウ栽培やワイン醸造、また品種の個性を大切にしたワイン造りなど、新しいワイン造りの動きが日本ワイン全体のレベルを底上げしていったのです。
また、前述したように雑誌などをふくめたメディアが希少なワインを生み出す小規模生産者を取り上げたりスター生産者などを生み出したことも、日本ワインブームが起こったひとつの理由でもあるでしょう。
そうした日本ワインへの注目が集まる中、2010年に甲州ブドウ、2013年にマスカット・ベーリーA、近頃は池田町独自品種「山幸(Yamasachi)がOIV(国際ブドウ・ワイン機構)へ品種登録されるなど、日本ワインを清算する側も世界進出を見据えて活動を開始。
さらに国際コンクールで日本ワインが特別な賞を受賞するなど、世界から注目されるワイン産地にもなってきたのです。
ちなみに産地としても、酒類の地理的表示制度である「GI」として、ワインは「山梨」に次ぎ、「北海道ワイン」も認定。
長野県には独自の「長野県原産地呼称管理制度」が存在するなど、産地形成も進みだしています。
そして今まで問題があったと言われ続けてきた日本におけるワイン関連の法律。
その問題も有識者たちの働きかけにより、念願かなって「日本ワイン」といった表示ルールが2018年10月30日に施行されました、
ワイン市場がほとんどない状態から、ブームを巻き起こすところまで発展した日本ワイン。
これからどのような歴史が刻まれていくのか、ワインファンとしては見逃すことができないのではないでしょうか。
日本ワインはこれから
冒頭でお伝えしたように、日本ワインの歴史は欧州をはじめとした諸外国から見れば始まったばかり。
しかし、日本のワイン造りの歴史は今この瞬間も日本全国の産地で時を刻み続けています。
日本ワインの新しい歴史は、これからです。
日本ワインファンの皆さん。
これからも日本ワインを見守り、そして応援し続けていきましょう!!
参考