日本ワインの歴史というと、山梨県甲州市で土屋龍憲、高野正誠の二人青年がワイン留学のため渡仏し、帰国後に甲州で本格ワインを造った話は有名ですね。
また、日本の固有品種を育種した新潟県の川上善兵衛を思い浮かべる方も多いでしょう。

実は、茨城県牛久市もまた、日本ワインの歴史を語る上では外せない産地のひとつです。
茨城県牛久市にも、同じ時代に山梨県甲州市とともにワイン文化の発展を支えてきた人々がいます。

今回は、山梨県・茨城県それぞれの歴史をみていきたいと思います。

初の大規模生産をおこなった神谷傳兵衛

牛久シャトーの創業者神谷傳兵衛は、17歳のころ原因不明の病を患い衰弱していた時に、
雇い主からワインを飲ませてもらい体調を回復させた経験から、日本人のためのワイン造りを目指すことになります。

1881年に考案した、輸入ワインにハチミツや漢方薬を加えた甘口ワイン蜂印香竄葡萄酒が大人気となり、甘口ワインブームを巻き起こします。

茨城県牛久シャトー
茨城県牛久シャトー

しかし、神谷傳兵衛がこれに満足することはなく、山梨県甲州市で土屋龍憲、高野正誠の二人が渡仏してワイン製造技術を学んできたことに興味を持ち、自身の養子である神谷傳蔵をフランス留学させます。
そして二年間のボルドーでの実習後、本格的に葡萄園を開園。

 

その後、サンプルで持ち帰った欧州品種の葡萄栽培に取り組み、フランス式の最新様式の醸造設備を建築、葡萄園と醸造場間にはトロッコを走らせ、初の大規模生産を実現させるに至ります。

土地と住民とが育んできたワイン文化

山梨県甲州市「龍憲セラー」

先述のとおり、日本におけるワイン産業のスタート地点としてあげられるのが山梨県。
もともと養蚕で栄えていたこの地ですが、化学繊維の発達により絹の需要が低下すると、政府や自治体はワイン産業に力を入れることになります。
(そのため、代々続く歴史あるワイナリーに訪れると「昔は養蚕をしていました」というところも多いのです。)

土屋龍憲と高野正誠二人の青年がフランスにワインを学ぶために留学し、帰国後甲州種にて国産ワインを醸造します。
しかし、当時ワインを飲みなれない日本人向けに産業として確立することは難しく、政府のバックアップが途絶えてしまいますが、それでも個人の資金と情熱によりワイン造りを続けてきたのです。

そんな中、茨城県の神谷傳兵衛による「蜂印香竄葡萄酒」が大人気だったことは山梨県の彼らに大きなヒントとなりました。
宮崎光太郎により甘口ワイン「ヱビ葡萄酒」が製造、販売され、ビジネスの再建が叶ったことは、その後のワイン造りの発達において大きな力になったことでしょう。

こうした各々の努力の他、中央線や常磐線の開通により大量の輸送体制が確立したこともあり、牛久産、甲州産のワインが首都圏へ流通されていきました。

日本遺産に認定「日本ワイン140年史」ー国産ブドウで醸造する和文化の結晶ー

 

それぞれの出来事を並べてみると、同じ時代に二つの産地がやり方は違えど、お互いを意識しあい、
刺激を受けながらワイン造りに切磋琢磨してきたことが見えてきます。

地域と住民が一緒になりワイン産業を育成し日本一のワイン生産県となった山梨県と、ブドウ栽培から醸造までの一貫した工程を構築し、大規模な生産体制を確立した茨城県。
明治の文明開化期、国営では果たせなかったワイン醸造を、それぞれの地域の特性を生かして民間の力により成し遂げた
ストーリーは、現在文化庁の日本遺産に認定されています。

日本でもっとも多くのワイナリーがある山梨県、建物が国指定重要文化財になっている牛久シャトーのある茨城県、どちらも東京からお出かけしやすい距離です。
ワインの歴史を辿る小旅行もおすすめですし、これら歴史に思いを馳せ味わうことは、海外のそれとはまた違った日本ワインならではの楽しみ方のひとつではないでしょうか。

 

あわせて読みたいオススメ記事!